ジュリアス・シーザー

Vincenzo Camuccini, “Morte di Cesare”, 1798,

みなさん、こんにちは。
地下鉄南北線・中の島駅徒歩2分、「椎名亮 整体院」の椎名です。

私は大学生の時、英米文学科というところに在籍していました。その時にイギリスの劇作家、
ウィリアム・シェイクスピアを学んだことがあります。

もうずいぶん時間が経ってしまったので、かなり忘れていますが、
シェイクスピアの作品で印象的だったものに「ジュリアス・シーザー」があります。

信頼をしていた友・ブルータスに裏切られ暗殺をされたジュリアス・シーザーが言った

「ブルータス、お前もか?」

という言葉はあまりにも有名な言葉です。

私は高校生の時にバンド仲間の友達に「ブルータス、お前もか!」と言われたことがあり、
大学生になって「ジュリアス・シーザー」でこの言葉の意味を知り、
「え?あいつ何であの時このセリフ言ったの??
そんなに悪いことした覚えないよ??」
・・・と思ったりしました。

私自身の名誉のために言っておきますが、
私はその友達に対してそんなに悪いことをした覚えはありません(^-^;
とはいえ、何か人知れず傷つけるようなことを言ったのかな・・と今でも
思い返したりします。

「ブルータス、お前もか?」はそれはそれとして私の中に残るものがあるのですが、
それ以上に「ジュリアス・シーザー」作品の中で今でも私の中に残るセリフは
また別にあります。

シーザーを暗殺したブルータスはシーザー暗殺の理由を群衆の前で話し、群衆の理解を得て支持を得ます。しかし、シーザーの右腕であったアントニーはシーザーへの弔辞を述べる際に、ブルータスから「暗殺の非難はしないこと」と、釘を刺されます。そのため、アントニーはブルータスを讃えるふりをして、シーザーの正当性を訴え、群衆の心を絶妙にひっくり返していきます。今でも私の中に残っているのはその際のセリフです。

以下は群衆の前でのアントニーのセリフです。

「ANTONY:
The noble Brutus
Hath told you Caesar was ambitious;
If it were so, it was a grievous fault,
And grievously hath Caesar answered it.
Here, under leave of Brutus and the rest――

アントニー:高潔なブルータスは言う。シーザーは野心家だったと。もしブルータスの言う通りなら、それは嘆かわしい欠点であった。嘆かわしくも、シーザーはその報いを受けたのである。ここにブルータスと、そのほかの人たちの許しを得て――

For Brutus is an honourable man,
So are they all, all honourable men――

なぜならブルータスは高潔の人であり、そして、ほかもみな高潔な人々であるから――」

アントニーのセリフの中で、「ブルータスは高潔の人」というセリフが何度もでてきます。
「そうだ、ブルータスは高潔な人だ!」と思っている民衆がアントニーの話しを聞いているうちに
徐々に「ちょっと待てよ?・・本当にブルータスは高潔な人なのか?」と思わされるわけです。その話の運びが絶妙なわけです。

「 Come I to speak in Caesar’s funeral.
He was my friend, faithful and just to me,
But Brutus says he was ambitious,
And Brutus is an honourable man.
He hath brought many captives home to Rome,
Whose ransoms did the general coffers fill.
Did this in Caesar seem ambitious?

私はシーザーの葬儀に、弔辞を述べさせてもらうために来た。シーザーは私の友人であり、私に対しては誠実で公明正大だった。しかし、ブルータスは、シーザーは野心家だったと言う。しかるに、ブルータスは高潔の人。シーザーは大勢の捕虜をローマに連れ帰った。捕虜の身代金は、国庫を満たした。こうした行動をとったシーザーは野心家なのか?」

このあたりから、アントニーの「ブルータスは高潔の人」というセリフに皮肉が混ざってきます。アントニーはブルータスを直接的にけなすような事を言わずに、シーザーを殺害したブルータスを暗に非難していきます。

「When that the poor have cried, Caesar hath wept,
Ambition should be made of sterner stuff,
Yet Brutus says he was ambitious,
And Brutus is an honourable man.
You all did see that on the Lupercal
I thrice presented him a kingly crown,
Which he did thrice refuse. Was this ambition?

貧しき者が泣き叫べば、シーザーはともに涙を流した。野心とは、より冷酷なものからなるものではないのだろうか。しかしブルータスは、シーザーは野心家だったと言う。そして、ブルータスは高潔の人。同志諸君は、ルパカルの祭りでのあのことを見ている。私は3回、シーザーに王冠を捧げた。シーザーは、3回とも拒否した。それが野心家か?

Yet Brutus says he was ambitious,
And sure he is an honourable man.

しかしブルータスは、シーザーを野心家と言う。そして、もちろん、ブルータスは高潔な人。」

もう、このあたりでは「ブルータスは高潔な人」は皮肉以外の何物でもありません。
結果、アントニーの話に扇動された民衆は暴動を起こしブルータスの家に火をつけ、ブルータスはローマを追われます。

人の気持ちを自然な流れで無理なく誘導していくとでもいいますか、
扇動するといいますか・・とにかくアントニー(というかシェイクスピア)の話の持って行き方が「うまい!」のです。

「ブルータス、お前もか」も有名な言葉ではありますが、
「ジュリアス・シーザー」の話の中での最大の見せ場がこのシーンだと思います。

そして、その話の持って行き方のうまさから、
意味が移り変わる「ブルータスは高潔な人」は私の中で今でも印象深い言葉です。

(さらに言うと、シェイクスピア作品は英語で「韻を踏む」こともしているので、英語で聞くと内容のすごさと合わせて、ラップにあるような韻を踏む言葉の響きにもすごさを感じるのです)

有名な作品なので多くの方がご存知かと思いますが、
まだ知らない方がいたら一度読んでみてくださいね。

長くなりましたが、この話はこれで終わりとします。

全然整体のお店と関係ない話題ですね(笑)

では、明日はまだ予約の空きがありますので、
高潔なる皆様のご予約をお待ちしております!(笑)